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盛岡地方裁判所 平成3年(行ウ)1号 判決 1992年12月18日

原告

菊地和夫

被告

岩手県教育委員会

右代表者委員長

上山司光

右代理人教育長

高橋健之

右訴訟代理人弁護士

岩崎康彌

右指定代理人

八巻恒雄

渡邊主喜

佐藤捷雄

藤澤秀雄

千葉茂

菅野洋樹

保原良和

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が原告に対して平成元年八月二一日付けでなした戒告処分を取り消す。

第二事案の概要

一  本件は、小学校教諭である原告が交通事故を起こしたことに関して被告が原告に対してなした戒告処分が違法であるとして、その取消しを求めた事案である。

二  争いのない事実等

1  原告は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律三七条に基づき、被告により教員として任命された、いわゆる県費負担教職員である(争いがない。)。

2  原告は、平成元年三月一八日午後六時五五分ころ、岩手県下閉伊郡岩泉町岩泉字森の越四番地付近の道路上において、普通乗用自動車を運転中、自車左前部を進路前方に置かれた道路工事用ポール(以下「カラーコーン」という。)に衝突させ、その衝撃で倒れたカラーコーンが佐藤順一(当時四〇歳。以下「本件被害者」という。)に当たり、同人を転倒させて負傷させるという交通事故を起こした(以下「本件事故」という。)(<証拠略>)。

3  被告は、原告に対し、平成元年八月二一日、本件事故を発生させた原告の行為が地方公務員法三三条に違反するものであるとして、同法二九条一項一号、三号に基づき戒告処分(以下「本件処分」という。)をし、右処分についての説明書は同月二五日に原告に交付された(争いがない。)。

4  原告は、平成元年一〇月一七日、岩手県人事委員会に対し、本件処分について不服申立てをしたが、同委員会は、平成二年一〇月一七日、本件処分を承認する旨の裁決をし、その裁決書は、同月二三日、原告に送付された(争いがない。)。

三  当事者の主張

1  被告

本件事故は、原告が前方を注視し安全を確認して進行すべき注意義務があるのにこれを怠った結果発生したものであり、本件事故により、原告は本件被害者に対し、加療三週間を要する頸椎捻挫、腰部・左肩・左手指打撲の傷害を負わせた。原告の右行為は、全体の奉仕者である公務員としてふさわしくない非行に該当し、地方公務員法三三条の規定に違反するものであり、原告が児童生徒の範たるべき公立学校の教諭としての地位にあることを考えれば、児童生徒をはじめ地域住民の信頼を裏切り、教員全体の社会的信用をも傷つけたその責任は、誠に重いといわざるをえない。そこで、被告は原告に対し、地方公務員法二九条一項一号、三号に基づき本件処分に及んだのであって、そこに何ら違法な点はない。

2  原告

本件処分は、以下の点において違法である。

(一) 本件被害者の傷害の程度の実際は、入院四、五日後二、三回の通院という加療で済む程度のものであり、また、本件事故の刑事処分について、相手方の落ち度も考慮して、原告は不起訴処分となったのに、戒告処分としたのは、重きに失する。

(二) 被告は、本件処分の処分説明書の処分の理由において、原告は「自動車を誘導中」の本件被害者に傷害を負わせたとしているが、本件事故当時、本件被害者が現に自動車を誘導していた事実はなかったのであるから、本件処分は事実誤認に基づくものである。

(三) 被告は、懲戒処分についての基準を明らかにせず、また、原告に対する事前の事情聴取等を何ら行わないまま本件処分をしたもので、適正手続の保障に反し、不公正である。

(四) 刑事事件に関して懲戒処分をすることは、非公務員が刑事事件を起こした場合に比して、刑事罰とは別に行政罰を二重に課すものであって、それ自体平等原則に反するうえ、他の教育公務員の非行事案に対する処分等の例に比べても、本件処分は重く、不平等である。

第三当裁判所の判断

一  本件処分は、地方公務員法二九条一項所定の懲戒処分としてなされたものである。ところで、地方公務員法は、同法所定の懲戒事由がある場合に、懲戒権者が懲戒処分をすべきかどうか、また、懲戒処分をするときにいかなる処分を選択すべきかを決するについては、公正であるべきことを定め(同法二七条一項)、平等取扱の原則(同法一三条)、不利益取扱の禁止(同法五六条)に違反してはならないと定める以外、具体的な基準を定めていない。したがって、懲戒権者は、懲戒処分をすべきかどうか、また、懲戒処分をするときにいかなる処分を選択すべきかを決定するにあたっては、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、態様、結果、影響等はもちろんのこと、当該公務員の当該行為前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等の諸般の事情を斟酌することができ、これら諸般の事情を総合考慮したうえで、公務員関係の秩序維持という懲戒処分制度の目的の観点から、右の判断をすべきこととなる。そして、その判断が、右のような広範な事情を総合的に考慮してなされるものであるうえ、右のとおり処分選択の具体的な基準が定められていないことを考えると、右判断については、懲戒権者の裁量に任されているものと解するのが相当である。もとより、右裁量は、恣意にわたることが許されないことは当然であるが、懲戒権者が右裁量権の行使としてなした懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当性を欠いて、裁量権を付与した目的を逸脱し、あるいはこれを濫用したと認められないかぎり、その裁量権の範囲内にあるものとして、違法にはならないというべきである。

二  そこで、右説示のような観点から本件処分が違法であったかどうかについて検討する。

1  本件事故の発生した状況、本件処分がなされるに至るまでの経緯及び原告の処分歴等については、前記争いのない事実に(証拠略)、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を加えて総合すれば、以下のとおりの事実が認められる。

(一) 原告は、本件事故が発生した平成元年三月一八日の午後一時ころ、本件現場付近を本件事故の際と反対の方向に普通乗用自動車を運転して通りかかっていたが、その際には本件事故現場付近で道路工事をしており、一部舗装が完成していない部分があるのを見ていた。ところが、本件事故発生当時に、本件事故現場に向かって走行していた際は、前に見た未舗装部分が見当たらず、また、本件事故現場の前方の反対側車線上に工事用の照明灯が点灯していたので、原告は、自車の進行している車線の道路工事は既に完了していると考え、また右のとおり工事用の照明灯が点灯していたことで、自車の前照灯を下向きにして進行していたところ、本件事故現場の約二五メートル手前で自車の前方道路上にカラーコーン三本が立っているのに気付き、あわててハンドルを右に切ってこれを避けようとしたところ、その先に本件被害者が原告の運転する自動車に背を向けて立っているのに気がつき、さらに急ブレーキをかけたが間に合わず、自車の前部バンパーの左角をカラーコーンに衝突させ、その衝撃で倒れたカラーコーンが本件被害者にあたり同人をその場に転倒させた。

(二) 本件被害者は、本件事故後、救急車で済生会岩泉病院に搬送され、同病院において、頸椎捻挫、腰部・左肩・左手指打撲により三週間の安静加療を要する見込みと診断され、そのまま経過観察を主たる目的として入院したが、その後、重篤な症状も出現しなかったことから、同月二三日、同病院を退院し、以降通院加療となった。その後、最終的には、平成元年五月三一日、原告と本件被害者は、原告が、本件被害者に対し、本件事故による本件被害者の身体傷害に対する損害賠償として、総額三六万七三八二円を支払う等の内容の示談をした。

(三) 原告は、同人が本件事故当時勤務していた岩泉町立安家小学校の校長から本件事故の状況についての報告書の提出を求められ、平成元年三月二五日付けで、事故の状況について図面による説明を加えたり、被害の程度について医師の診断書を添付した顛末報告書を作成して提出した。右報告書には、本件事故の発生原因や双方の過失についての原告の認識も記載されているほか、「反省と決意」として自己の所感が記載されている。

(四) 岩手県警察本部長は、平成元年四月二〇日、本件事故に関して安全運転義務違反により原告の運転免許の効力を同日から三〇日間停止する旨の処分を行ったが、同日、原告が道路交通法所定の講習を修了したことにより、右停止処分については二九日間短縮された。また、宮古区検察庁検察官は、平成元年六月七日、本件事故にかかる業務上過失傷害被疑事件について、不起訴処分とした。

(五) なお、原告は本件処分以前にも、これまで交通事犯に基づく戒告処分を一度受けている。

2  以上によれば、本件事故は、原告の前方不注視の結果生じたもので、このこと自体、自動車の運転をする上での基本的な義務の懈怠であるうえ、右義務を履行していれば、本件事故は容易に回避できたものであり、また、本件事故によって本件被害者に負わせた傷害の程度も決して軽微なものとはいえない。したがって、これら本件事故の態様、原因及び結果に、原告の教員としての社会的地位、立場や過去の処分歴等を考え合わせると、前記認定のとおり、本件被害者に重篤な結果が現れなかったことや、本件被害者との間で示談を成立させていること、あるいは、本件事故に関しての刑事事件が不起訴処分に終わっていること等の諸事情を勘案しても、本件事故を起こした原告に対して懲戒処分をすることとし、その具体的処分として最も軽い戒告をもって臨んだ本件処分が、社会観念上著しく妥当性を欠き、懲戒権者である被告に任された裁量権の範囲を越え、あるいはこれを濫用したものということはできない。

三  次に、本件処分に関して原告が指摘するその他の違法事由について検討する。

1  原告は、本件処分の処分説明書(<証拠略>)の「処分の理由」中に、本件被害者について「自動車を誘導中」との記載があるところ、本件被害者が本件事故当時、現に自動車を誘導していた事実はなかったのであるから、本件処分は事実誤認に基づくものである旨主張する(前記第二の三2(二))。しかしながら、前記事故発生状況からすると、本件事故発生時に本件被害者が現に自動車を誘導していたか否かによって本件処分の当否が左右されるものとはいえないから、原告の右主張は理由がない。

2  原告は、被告が懲戒処分の基準を明らかにせず、かつ、事前に事情聴取も行わずになした本件処分は、適正手続の保障に反し、不公正である旨主張する(前記第二の三2(三))。しかしながら、被告において処分基準を定めているとしても、それは、処分の適正を図るための内部基準にすぎず、これを明らかにするかどうかは、懲戒権者である被告の裁量の範囲内にあると解されるから、基準を明らかにしなかったこと自体をもって本件処分が違法であるということはできない。また、地方公務員法には、懲戒権者が懲戒処分をするにあたって、被処分者から事前に事情聴取等を行うべきことを定めた規定はないのであるから、事前の事情聴取が行われなかったとしても、直ちに手続的な違背があるとはいえない。もっとも、憲法三一条の規定する適正手続の保障は、行政手続にも保障が及ぶ場合があると解されるが、本件においては、本件処分以前に事情聴取という形での弁明及び聴問の機会が原告に与えられることはなかったものの、前記認定のとおり原告が勤務していた小学校長に対して、原告から顛末報告書が提出され、そこに本件事故に関しての原告の認識内容が具体的に記載されて、原告の立場は十分説明されており、被告はこれをも斟酌して本件処分を行ったものであるし、本件処分は、懲戒処分の中でも最も軽い戒告なのであるから、特に事情聴取という形での弁明及び聴問の機会が原告に与えられなかったとしても、本件処分が適正手続の保障に反し、ひいては違法なものであるとはいえない。

3  原告は、刑事事件に関して懲戒処分をすることは、非公務員が刑事事件を起こした場合に比して、刑事罰とは別に行政罰を二重に課することになるから、それ自体平等原則に反するものであるとともに、他の教育公務員の非行事案についての処分等の例に比べても本件処分は重く、不平等である旨主張する(前記第二の三2(四))。しかしながら、懲戒処分の目的は前記説示のとおり公務員関係の秩序維持にあるのであって、かかる目的から、公務員たる地位にある者に対して刑事処分とは別個に懲戒処分を課すことは合理性があるというべきであるから、その結果公務員でない者との間で差異があるとしても、何ら平等原則に反するものではない。また、本件全証拠によっても、本件処分が他の処分例に比べて不当に重いとは認めることができない。

四  以上のとおりであって、本件処分は適法であり、原告の請求は理由がないから、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高橋一之 裁判官 田村幸一 裁判官 阿部浩巳)

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